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宝塚今昔物語
記事一覧
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2009/12/14のBlog
宝塚少女歌劇は、室内水泳場であったパラダイスの空間を舞台に転用して始まったと言われている。写真は、そのころのPR用と考えられる。
この舞台は、水泳場の失敗の結果といわれているが、当時の新聞を見ると、当初から想定していて、どちらにも使えるようにしていたことがわかる。
2009/06/28のBlog
[ 10:45 ]
面白い絵はがきを見つけたので、寄り道します。
宝来橋を左岸下流側から上流を望んでいる。岸辺にはまだ護岸の様子が見られない。橋の形から明治40年前後と見られ、明治35年から43年までの間の、ざっと百年前の絵はがき。宝来橋の袂には牛がいて、川岸の緑も濃く、岸辺には護岸もなく自然なままの牧歌的な宝塚の情景が伝わってくる写真です。
2009/05/02のBlog
唱歌に「故郷 (ふるさと)」があります。

 うさぎ追いし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川
 夢は今も めぐりて 忘れがたき 故郷(ふるさと)
いかにいます 父母 恙(つつが)なしや 友がき
 雨に風に つけても 思いいずる 故郷
こころざしを 果たして いつの日にか 帰らん
 山はあおき 故郷 水は清き 故郷

故郷の情景に欠かせないのが、山と川です。
宝塚市は
山はあおき (緑豊かな六甲・長尾の山々)
水は清き (清らかな武庫川の水)
宝塚歌劇のイメージとする「清く正しく美しく」
と、子どもの頃から宝塚に住んでいる人は、
変わらない情景を思い出すことが出来ます。
武庫川の両岸はマンションに囲まれてきていますが、
清流は残っています。
絵葉書は鮎釣り。白黒ですが水の清らかさがわかります。
2009/03/08のBlog
宝塚歌劇は、宝塚新温泉の集客のためのイベントとして大正3年に始まった。
新温泉は、前年の大正2年に婦人博覧会を行っている。
女、子どもをターゲットにした遊園地、新温泉の試行錯誤の結果、成功例として宝塚歌劇は現在に続いた。
この絵葉書は、「婦人博覧会陳列場の一部」とあり、同博覧会の展示の様子る貴重なものといえる。
同婦人博覧会では、余興少女大会の様子も絵葉書になっている。
2008/10/13のBlog
大正10年、宝来橋の上流約600m、愛の松原と見返り岩を結ぶ私設の橋として5月完成、鉄筋コンクリートのモダンな橋でした。
一後川と武庫川の合流点上手と見返り岩の下手を結んだ千歳橋は、長さ約40㍍幅約3㍍の鉄筋コンクリート製。この付近一帯を開発したIさんのおじいさんが「対岸に住む生瀬の人の便と村の発展のために」つくった私設の橋です。欄干を三角形に組んだ洋風のブリッジ、当時としてはかなりハイカラでした。
というのも I さんの義理のおじさんにあたるK氏が設計者で、同氏はヨーロッパにわたり最新の技術を学んだ建築家でした
絵はがきに載ったこの橋も、残念ながら昭和20年10月の阿久根台風の豪雨で流出してしまいました。
昔、宝塚の右岸側から武庫川に沿って有馬や三田に向かうには、右岸側に道がないため一度左岸側に渡り生瀬まで行き、生瀬の浄橋寺橋を使ってまた右岸側に渡ったという。明治になり、地元の篤志家(田中初吉)らが往来する人の不便を思い、明治16年に道を通した。
近くにあった千歳橋とともに宝塚の観光名所として絵はがきによく使われた。
2008/10/12のBlog
武庫川に流れ込む川沿いにある滝に「丁字滝」があります。
宝塚駅から、宝来橋を渡り、右岸側を5,6分歩けば
見返り岩近くに「丁字ヶ瀧」が今もあります。少し奥にあるため、
道路を通るだけでは見えません。
続いては「見返り岩」です。
2008/10/08のBlog
長らくの間お休みさせていただきすみませんでした
4月に職場が変わり、慌ただしい日々を過ごしておりました。
最近やっと少し余力がでてきましたので物語を再開させていただきます。
といっても、つれづれ徒然なるままでございますが。

再開の始めは、「伊孑志の渡し」から始めます。
江戸時代、宝塚市内には武庫川に架かる一本の橋もなく、
両岸をつないだのは、右岸の末広町と左岸の美座1丁目の間にあった
「伊孑志の渡し」だけでした。
写真は武庫川左岸、宝塚中学校付近、正面の木立はスポーツセンター
付近と推定されます。
渡しは江戸時代中期に始まり、大正8年まで続きました。
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