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みずたまメリーのシゴトグラフ
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2011/06/05のBlog
[ 16:50 ] [ アート活動・作品 ]
毎年恒例となりました。
梅雨の時期でたいてい雨にみまわれる個展のお知らせです。

例年のとおり谷町六丁目
「アートギャラリーそら/sora+」で行います。

お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りくださいませ。
デザイナーとはまたちがった、絵描きとしての
わたくしをごらんくださいませ。

畠は、
13(月)14:00~、
15(水)17:00~、
17(金)15:00~、
18(土)終日 在廊しております。


◯【二人展にじたま】
みずたまメリーの個展「セカイグラフ」
にじいろポニーの個展「It's a girl!」
◯【期間】6月13日(月)~18(土)
13:00~20:00(最終日は17:30)
◯【場所】アートギャラリーそら & sora+
大阪市中央区谷町六丁目4-28
(地下鉄谷町線「谷町六丁目」駅 徒歩5分)

ギャラリーウェブサイトはこちら
http://sora.swee.to/
2011/03/24のBlog
[ 16:19 ] [ アート活動・作品 ]
みなさまおいでませ、ゆめのはこへ

あっという間に前日です。
間に合うのかな・・・設営


子供たちのワークショップも
屋台のような雰囲気で行います。

今年はお祭りに見立てた会場づくりになっています。

赤い表参道におみこしがあります。
布の鳥居をくぐって
今年のゆめのはこのはじまり、はじまり。

みんな来てねー

あ、ご質問うけましたが、年齢制限はありませんよー
赤ちゃんと一緒にでも、大人おひとりでも
きっと楽しめます!


★どろだんご、クレイアニメのワークショップは
まだ募集中です!

http://bari-furi.biz/yumenohako/2011/yumehako6ws.htm


こどもアートフェスティバル「ゆめのはこvol.6」
【日程】2011/3/25(金)、26(土)、27(日)
【時間】10:0017:00
【場所】原田の森ギャラリー(兵庫県神戸市灘区原田通3丁目8-30)
【最寄駅】阪急王子公園 5分/JR灘駅 10分/阪神岩屋駅 徒歩15分
2011/03/20のBlog
今年もこどものアートイベント「ゆめのはこ」
原田の森ギャラリー(神戸市灘区)で開催します★

いま、この時期だからこそ、
こどもたちの不安を笑顔に変えて、
おもいっきりアートで遊んでほしいと思います。
実行委員一同、せいいっぱいがんばりますので
どうぞよろしくお願い致します。
ぜひ遊びに来てください!!

「ゆめのはこ」第6回は「アートでおまつり」をします。
【日程】2011/3/25(金)、26(土)、27(日)
【時間】10:0017:00
【場所】原田の森ギャラリー(兵庫県神戸市灘区原田通3丁目8-30)
【最寄駅】阪急王子公園 5分/JR灘駅 10分/阪神岩屋駅 徒歩15分
★スペシャルワークショップの受付を開始しています。
◯ピカピカどろだんごづくり(材料費500円)
◯クレイアニメ制作(材料費500円)
↓↓↓
申し込みは、こちらのフォームから行えます。



他にも・・
●こども絵画展
●作業所アート作品展
●てづくりの巨大おみこし&こどもみこし
●ふわぽんのおともだちを描こうイラスト展
●関学カフェCASA&なだびと喫茶・作業所のお菓子販売
●縁日ワークショップ
●ライブペイントお絵描きコーナー
●どろだんご・クレイアニメのスペシャルワークショップ

たくさんたくさん、
こどもたちを笑顔にする。
こどもたちの夢が膨らむ
たのしいアートがあります★


★★★★★★★★★★★★★★★★★
【お知らせ】
※配布済みのチラシに関しまして誤りがありました。
スペシャルワークショップ「クレイアニメ」
26日(土)の募集時間は
(正)12:00(8名)、14:30(8名)でした。


★★★★★★★★★★★★★★★★★
↓↓↓
詳細はこちらからPDFでダウンロードできます
2010/09/16のBlog
[ 19:47 ]
秋はぼくの季節
僕のものだ

なぜなら、
秋と春ぐらいしか
体がまともに動かない
アタマもまともに動かない

おかえり、僕。
秋は、感情のレンジ幅が
振り切れる程に動く。

インプットもアウトプットも
最大入出力で。

この時期に蓄えなければ
この時期に吐き出さなければ

来年はない、と
毎年思う。

都合のいい事は
空へ駆け上がるちから
都合の悪い事は
地を掘り進むちから

止まっている事が
なにも成さぬということなら
どんなゴミでもエネルギーに変換して
より遠くへとむかうことが、
もっとも良きことかと
思う。

秋の夜。
2010/09/06のBlog
[ 16:55 ] [ みずたまメリーのメモ ]
「場」というのは、ここ最近ボクが考えるテーマのひとつである。

場の話は今回少し置いておいて
その「場」においてどのような「役割」を担うのか。
それが次の意識として持ち上がって来たキーワード。

しょっぱなから話はそれるけれど、
ここ最近ボクは「アーティスト」や「絵描き」と捉えられる事が多い。
しかし、ボクはそのフリをしているだけであって
アーティストや芸術家の類いではない。
結果的にそう捉えられているという事は
作戦としては成功であるが...

ボクは、ボクが関わるいくつかの「場」において
アートを普及したり見せたりする「役割」を担う。

しかし、ボクはアーティストとしてではなく
『「アートを使って場を賑やかにする」という企画』として
この段階では企画デザイナーとして役割を担うのである。
また、テーマを設定したり、調整を行ったりもする。
その段階ではコーディネーターであり、ディレクターでもある。

さらにボクは自分はデザイナーでもなく
コーディネーターといっても"通訳"に近い仕事をしている実感がある。
そして自分の企画をこなすために、デザインもアートも
ぼくにとっては方法や道具のひとつなのだ。

本題。

ここ数年、様々なプロジェクトや企画に関わりながら
ぼんやり考えている事を書き記そうと思う。

人がなぜ「働くか」という問いである。
みんな、会社に入ると担当の仕事に就く。
自営業であれ、ボランティアであれ、
仕事のなかには自分の「役割」がある。
仕事でなくても、飲み会を開けば、幹事もいるし、
宴会部長や鍋奉行はどこからともなくいるわけだ。

なかには、それが自分に向いていないのに
無理矢理あてがわれる人もいるのだろうけれど、
それでも役割をこなすことで、毎日は十分平穏を保つものだ。

しかし、何にも役割をあてがわれない人も出てくる。
また、自分の考えで「役割」から飛び出す人もいる。
そしてこの役割のない状態に長く居座れるほど
神経の図太い人はなかなかいない。

辞めざるを得ない状況や、次への転職をめざし
また、独立や人生における余暇を考え「役割」を辞めた人が、
実際には自分の目標が定まらず
「役割」がない状態を長く続けると
再就職もままならなくなってしまったりする。

「自分の存在する意義」がそこに何もないからだ。

人は、仕事を求めているのではなく、「役割」を求めている。
「役割」がなければ、存在が破綻してしまうのだ。
すべてがそうとは言えないが、多くがそうであると思う。

かくいうボクは若い頃3-4ヶ月ほど家に閉じこもってしまい
「役割」を忘れ、外にでるのは本当に苦労した。
仕事をはじめるのには、さらなる苦労を要した。
神経症をわずらったときも、この「役割」を見失ってしまい
いまだに、エンジンのさびがとれない気分だ。

そういった状態にならないために、
人間は家族をつくり、社会をつくるのではないだろうか?
仕事をしたり、学級委員を決めたりするのではないか?
自分はどこそこのなになにです、というアドレスを得る事で
その存在を安定させ、心身ともに心地よくいられる。

誰にも見られていないウェブサイトはますます更新がとどこおり
アクセスの伸びるウェブサイトはますます洗練されていく。
同じ事である。

企業の中では、会社や社長と個人のつながりは見えにくいが、
各部署やプロジェクトのメンバーとして、
何かしら自分の「役割」は見えやすいようにできている。
これこそが、人の行動力を生み出す仕組みだと思う。

会社を辞めて独立したり、
作家のようにして仕事をやっていこうとするとき
自分が何の「役割」をになっているか急にみえなくなってしまう。
どこへ泳いでもいい自由と引き換えに、海そのものを手に入れてしまう。
よほど強い意志、もしくは楽観性(鈍感力)がなければ、
大海原で希望をもって泳ぎ続けるのは至難の事と思う。

例えばリタイアした後や余暇にボランティア活動に取り組む人は
自分が「役割」を担うことにどん欲で、健康的であると言える。
健康的すぎる、とも言えるが。

そしていま、多く人が精神を破綻させる原因は
この「役割」を見失うことにあるのだろう。

近所付き合いはなく、競争もない、大量生産、大量廃棄で
良いもの悪いもの、高いもの安いもののバランスが完全に崩れて
仕事をしても、自分が何かをやったという価値を得にくく
プロジェクトは乱暴にすすみ、やっつけ仕事は増える。

目標をもちなさい、という人がやりたくもない目標を勝手に決め
夢をもちなさい、叶えなさい、という人がやたらとお金に口うるさい。

そりゃあ、そうなるよ。
と感覚的にボクは思うのだけれど。
なにか解決案、代案をださないのはボクのポリシーに反するので
一つの仮説だけ、立てようと思う。

今、社会や経済の話題には、
CSRや寄付、NPO、社会起業、地場産業そういった話題が多い。
やり過ぎの環境問題など、ボクは一線置きたいが
個としての人が「地球」や「世界」「社会」というものの
構成要素として「役割」を担っているという動機付けがあり、
これから増えるユニバーサルな生き方への
心身のケアとなり得る、
自己の存在を保つ上で非常に有益な価値観である。

これは、相互に作用していて、
裕福になった社会における経済活動の方向性、という面を持ちながら
複雑化して希薄になっていく人間関係の中で
「役割」を見いだすために、社会が人が、生み出した防衛策。
そう言えるのではないかと、思っている。

今目の前にある、かたづけるべき問題だけではなく
もっと大きなセカイの「役割」をになっているのだと
間違いなくそうなのだ、と感じてほしい。
そう考えている。

余談。

一つの役割を離れても、
社会のために何ができるか、
町のためになにができるか
そのためには、
家族のために、こどものために、
自分のために、
何ができるのか?
自分はどんな「役割」を担えるか?
そう思えること。

より高い意識に対して目標を掲げる事は、
同時に
より深く自分自身を突き詰めることとなる。
2010/09/01のBlog
[ 21:36 ] [ 講師・セミナー ]
というのは「無能の人」の
はじまりのフレーズです。

つげ義春のこの作品が大好きだと言いますと
たいてい、ボクがどのように
自堕落なひとなのかが伝わるように思う。

しかし、今日も、しっかり働いたけどね。
石つながりで、うまい事いう訳ではないですが、
本日は生野銀山に行ってまいりました。

大学で担当しているフィールドワークの授業で
朝来市への見学でした。
夕方から別件の打ち合わせがあったため、
生野銀山と、古民家見学、
そして、名物のハヤシライスを食べ、
夕方には神戸へ帰宅しました。

生野銀山の中は13℃
約一時間の見学を終え
極度の冷え性のボクは
足がガクガクに。

寒さと対照的に
ガイドのおじさんがとてもホットな方で
記憶に残った話

日本軍の捕虜だったイギリス人の方が
生野銀山で働いていたそうなのですが
(ようするに強制労働だと思いますが)
おじいさんになってから
生野の地と銀山を訪れて
たいへん懐かしんでいたというお話。

つまり、"過酷な"強制労働をさせられていたら、
その地を再び訪れて懐かしんだりするだろうか?
という部分なわけですが

ガイドのおじさんは、
それをとても「誇り」にしていらっしゃった。

その話に呼応するように
生野の地は
整然とした美しさがあり
穏やかに、
それでいて凛とした町でした。

2010/08/24のBlog
[ 19:44 ] [ デザインワーク ]
伊丹イオンモールでの作業所販売会に、僕がディレクターをしておりますアートセンターカナウが参加しています。
今年は、商品企画が一気に進みそうで楽しみだな。
●写真
ゆめきらマグネット用のディスプレー台ができました。
深江ワークヴィレッヂの堺さん作。

新しく作りはじめたヌイグルミ関係です。
東京の作家さんと企画進行中。
2010/08/16のBlog
[ 21:54 ] [ アート活動・作品 ]
6月の作品展「にじたま」に展示した作品

「星の詩」

ここにある、ということをつなぎとめて 絡み合うシナプス
呼吸する星の中にとじこめらて 人の流れは常に倍速で横殴り
うんざりしているはずのに
気づいてみれば規則的な話ばかりしてしまう
ささやかな毎日だと与えられた気分
生み出されては消耗して くりかえしだと勘違い
僕たちの証拠はどこにでもあった

星屑になっていく
必死になってかき集めて ぽろぽろこぼしながら
雨が降り注ぎ 聞こえ始めた終わりの音楽

足元が沈んで落ちていく体 透明な空気は紺碧の深海へ
やがて水圧でつぶされて いれものは消える

目を閉じてみえてくる景色 それがあまりにまぶしすぎる

なんのためなんだろう? たとえば手をつなぐのは
迷子にならないように 風に飛ばされないように
走り出したり 空を飛んだりする自由を奪うために

落下速度は速くなる 金銀にきらめく無数の粒が
目のよこをかすめて 何かをつぶやいていく
手をつなぎそこねて ぬくもりはつたわらず
時間の底にむかって 速度は記憶を振りきっていく
おおきな衝撃が体をつつんで
暖かい肌のうえ 産声をあげる

生きることは また 始まったばかり
2010/08/14のBlog
[ 20:23 ] [ みずたまメリーのメモ ]
少し前だけど、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいているクライアントさんがいてそこのおばあちゃんが亡くなられた。

それはもうまわりのみんなが分かっていたことであり、実際には本当に長い間いのちをつないでくれていたのだけど、しかしながら、亡くなってしまうと、こんなに早く、か。という気になる。

僕は、あまり生きる死ぬという概念には振り回されたくない、と心がけている。死後の世界とか魂とか熱心に論じる割には、信仰心もなく、実際のその形があるとは思えない。

ただ、それはこの世界とはまったく別のロジックでどこかに存在しているが、我々が、我々の尺度でしか物を捉えられないので「ない」ということになるのだと思っている。

お棺の中の表情というものは生きている時のそれではない。つまり、僕はそこに何も感じられない。
涙がでるとすれば、その人と自分との思い出や、関係や「その人にもう会えない自分」が哀しくなるのだと思う。

喜怒哀楽、特に思い切り泣けるひとを羨ましく思い、それをロジックにかけることを非難されることもあるけれど僕は今回ひとつ何かを見たような気がした。そのひとを欠いた哀しさはリアルだけどぼくはとてもポジティブでいられる。

亡くなった人の心はどこにいくのか?そういった問いに。
その家族や、親しくした人やそしておばあちゃんを尊敬していたすべてのひとたちの中に、少しずつそのこころはカット&ペーストされていた。そのひとの必要な部分だけ、すこしづつわけっこされて、みんなの中に追記された。
そうやってわけっこされて、こころの元データはすべて消えた。

僕はお通夜の日、お棺を包む、家族を包むおおきな何かをみたような気がした。部屋いっぱいに広がって、すごくあたたかい、やさしい、そんな気がする空間。
そして小雨の降る葬儀の中、僕は、そのおおきなものをどこにも感じられず、景色はグレーに見えて、しかしながら、お棺の前に立つ家族や、志を同じくした我々一同のこころの周りに、その断片がすこしづつ、その人の色と混ざっていくのを感じたように思う。

僕は、霊が見えるわけでもスピリチュアルな人間でも何でも無いと断っておかないと、文章の意味があらぬ方向に曲がるのはいやだから、はい、断っておくけれど。

僕がその風景をみた事実を、どのように捉えてもらっても構いはしない。ただ、このように思った事実は、とても僕の気持ちをポジティブにさせて、あたらしい概念を生んだのだった。

2010/08/06のBlog
神戸市灘区は水道筋商店街の一番ひがし。
青天井の下町商店街があります。

それが「すいいち」水道筋一丁目商店街

なにやらそこの道ばたで
唐突にお絵描き工作教室をするひと出現。

それがわたくし、みずたまメリーです。

今年からすいいちは毎月24日「おじぞうさんデー」なの。
限定でお安くなったりしています。
24日以外にも私は、子どもたち対象に
気の向くまま土日でパフォーマンス。

道行く子どもたちとお絵描きを繰り広げる。
8/1にお絵描きエコバッグをつくりました。

次回は8/21、22の土日だってさ。
夏休みの工作教室「動物の工作」づくりをするんだってさ。

夏休みの宿題はこの日にどーぞ。
各日14時より。参加無料、材料費も無料です!

それから、すいいちでは
おじぞうさんのゆるキャラ 募集中!
みなさんどしどしご応募ください。締め切りは9月です。

採用者(グランプリ)作品は
今後すいいちの公式キャラクターとして
グッズ化など含めてずっと使わせていただきますよー。
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