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宝塚今昔物語
記事一覧
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2008/10/12のBlog
武庫川に流れ込む川沿いにある滝に「丁字滝」があります。
宝塚駅から、宝来橋を渡り、右岸側を5,6分歩けば
見返り岩近くに「丁字ヶ瀧」が今もあります。少し奥にあるため、
道路を通るだけでは見えません。
続いては「見返り岩」です。
2008/10/08のBlog
長らくの間お休みさせていただきすみませんでした
4月に職場が変わり、慌ただしい日々を過ごしておりました。
最近やっと少し余力がでてきましたので物語を再開させていただきます。
といっても、つれづれ徒然なるままでございますが。

再開の始めは、「伊孑志の渡し」から始めます。
江戸時代、宝塚市内には武庫川に架かる一本の橋もなく、
両岸をつないだのは、右岸の末広町と左岸の美座1丁目の間にあった
「伊孑志の渡し」だけでした。
写真は武庫川左岸、宝塚中学校付近、正面の木立はスポーツセンター
付近と推定されます。
渡しは江戸時代中期に始まり、大正8年まで続きました。
2007/04/14のBlog
宝来橋 その続き

 明治35年ごろ、武庫川を挟んで現在の宝塚市域に初めての橋「宝来橋」が架かりました。
初めは粗末な木製の橋だったが、明治43年に鋼鉄製の橋に架け替えられた。 →
 初代の橋は洪水により流され、幾度となく架け替えを重ね、現在のS字橋に架け替えられる前の宝来橋は昭和30年に完成したもので、この橋までは車の通れない人道橋でした。
 そして、現在のS字橋へは平成6年秋に架け替えられました。
 橋の長さは136・6㍍。幅は17㍍でうち車道部分は8㍍あります。
 また、工期は平成2年度から平成5年度で、工費は約20億円でした。
2007/04/01のBlog
宝塚は、武庫川が生んだまちといえます。
武庫川の右岸に宝塚温泉ができ、その後、左岸に宝塚新温泉が誕生。
両岸が競うように発展し、宝塚の市街地を形成していきました。

また、六甲と長尾の山系にはさまれた武庫川は宝塚の地で平野部に進出するため、大水が出たとき、流路が定まらず氾らんを繰り返していた。このため、武庫川の流路の整備が明治に計画、大正、昭和と実施されていきました。
整備の中で多くの土地が生まれ、この土地が都市としての宝塚の発展の基盤となっていったのです。
2007/03/26のBlog
私にとっての宝塚

その1 
 「宝塚市は面白いまちだ」

 門前町でも城下町でも、また宿場町でもない。
 「市」の形成という面からは、創り上げられたまちとでも分類すべきだろうか。
 明治になり、都市への集積が始まったころは、まだ、現在の市域には1万人を超える程度の人口しかなかった。
 しかし、明治の終わりから、急速に整備されたインフラにより、急激に発展する。

この絵葉書は、明治の終わり頃の宝塚の風景。手前には湯本町の温泉街が、
そして武庫川を挟んで新温泉(後のファミリーランド)が見える。
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