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まなびの会
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2010/02/08のBlog
[ 17:06 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成22年2月8日(月)
場 所 兵庫県民会館
講 師 茨木一成氏(日本歴史学会)
 言わずと知れた石田三成(西軍)と徳川家康(東軍)との正に
天下を分けた戦いのお話しでした。
 家康は秀頼の名のもとに、上杉景勝を討伐するために、豊臣
軍団を引き連れて東上しますが、途中で「三成旗上げ」の報に
接し、小山において一世一代の評定を開きます。(7/14)
 この時のキーポイントは、①黒田長政が多数派工作を行ったこと。②軍団最強の福島正則が早々と家康支持を表明したこと。③山内一豊他東海道の大名が各々の城を提供したこと。・・・により、家康は労せずして豊臣軍団を手中にし、かつ兵糧・宿泊地の心配なしに進軍出来る状況になったことです。
 関が原の戦いは、あっけなく1日で決着がつきましたが、その前哨戦として「丹後田辺の戦い(細川有斎)」「大津城攻防の戦い(京極高次)」「九州方面の戦い(黒田如水)」等がありました。 
関が原の1日(9/15)は・・・・・
 ● 9時頃 8時頃から始まったが一進一退。
 ●11時頃 西軍の毛利・島津が動かず。
 ●正午頃 小早川他の背反。
 ●13時頃 西軍の戦線崩壊 ・・・・・となります。
 歴史に「もしも」はありませんが、「もしも、裏切りや傍観がなかったら」どうなっていたかわからない戦いでした。
2010/02/06のBlog
[ 18:08 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成22年2月6日(土)
場 所 武庫川女子大学
講 師 鞍田三貴氏(武庫川女子大学講師)
 氏は管理栄養士の立場から、NST(栄養サポートチーム)の
必要性についてご講演されました。
 いくら医療や科学が進歩しても、"「食」に勝る治療法はない"
という考えが根底にあり、食事を味わうということは、①疲労を
伴なわない。②時期・年齢・身分等を問わない。③他の快楽に
比べ永続的である。・・・・・等々のメリットがあります。
 病院においては、医師と看護師・薬剤師・栄養士・検査技師等のメンバーが1つになって個々の患者さんに最適な食事を提供する、所謂「チーム医療」のシステムが構築されつつあり、ひと頃のような糖尿病食とか肝臓病食とかいった画一的なものから、各々の状況に合わせたものに変わってきているようです。
 病院にはこのように総合的なサポーターが居ますが地域にはこれがなく、ケアマネージャーもここまで深く関与出来ないのが現状です。
 行政では、介護保険制度の中に栄養士の"居宅療養管理指導"を明解にしていますが、現場ではこれがほとんど利用されておらず、これは地域にNSTが欠如しているからとのことです。
 退院後の高齢者が心身の状態を維持し、向上させるためにも開業医・福祉機関・行政が一体となった「サポートチーム」のシステム化が望まれるところです。
2010/02/04のBlog
[ 19:38 ] [ 環境・健康 ]
日 時 平成22年2月4日(木)
場 所 プレラホール
講 師 藤田紘一郎氏(医学博士)
 これから生きていくために必要な病気にならないための免疫力
について、最近急速に増えているアレルギー病を例にお話しを
してくださいました。
 アレルギー病とは、「アトピー性皮膚炎」「気管支喘息」「花粉症」
等の総称で、たとえば10歳以下の子供では、約40%がアトピー
で、花粉症も日本人の5人に1人が患っているとのことでした。
 抗生物質が作られたのが約100年前ですが、人間は30億年以上前から生活してきており、そのようなものが無くても元気に子孫を残してきています。
 確かに悪玉菌が災いを成してきているのも事実ですが、これとても全く必要ないことはなく、身体のバランスをとっているのだから、超清潔にし過ぎるとこれらを排除(洗い流す)してしまい、これも問題を起こしているとも言えるとのことでした。
 「免疫」とは、病気から免れるための仕組みで、「異物」を排除するための機構であると同時に、「異物」と共生するための手段であるとも考えられます。
 この「免疫力」を醸成するためには、体作りが70%、こころの精神が30%だそうで、前者は、野菜・豆・穀類等を摂取することや適度な運動が必要で、後者は、自然に親しんだり笑って楽しく生活することに効果がある由でした。
 これらは、日常から言われていることなのですが、実行するとなるとむつかしいですね。
2010/02/03のBlog
平成22年2月2日(火) 午後の部で実施。
場所:明石市男女共同参画センター
講師:茨木一成氏 (日本歴史学会)
 永禄4年、福島正信の長男として愛知県で生まれる。
 母が豊臣秀吉の叔母だったため、幼少から秀吉に仕える。
天正11年賤ヶ岳の戦いの折には一番槍・一番首として
敵将・拝郷家嘉を討ち取って賞される。
賤ヶ岳の殊勲では七本槍と賞され、華々しい戦功を上げた。
 しかし、関ヶ原の戦いでは豊臣恩顧の武将ながら黒田長政に説得され、東軍に付き戦功を上げ安芸広島の城主となるが、その後許可無く城を改築したと因縁を付けられ信州に改易されてしまいます。徳川の豊臣恩顧の武将を抹殺していく策略と思われます。
福島正則は世間では武勇一点張りの粗暴な武将と評されていますが、その実像は義理人情に厚く不器用なまでに一途に生きた人物であります。
 幼少より秀吉に仕え豊臣家の存続を願いながらも、後に家康に仕えたのは太平の世の到来を希求すればの、苦難に満ちた決断でした。
 曲がったことが嫌いで忠誠心が高い武将であります。今のオレオレ詐欺には爪の垢でも飲ませたい心境です。
2010/01/30のBlog
[ 17:24 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成22年1月30日(土)
場 所 宝塚ホテル
講 師 鎌田 實氏(諏訪中央病院名誉院長)
 「地域で支えるみんなの命」を合言葉に、医療者と地域住民の
心の温かさをポイントとしたセミナーでした。
 氏は、人間の幸せや健康は、経済と同じで病むと一時的に精
神は下がっていくが、下がったものは必ず上がるものという信念
で対応されており、それには「温かさ」を心掛けることと強調され
ました。
 医者は病気を治すのが仕事と受け止められていますが、誰も病気にはなりたくないわけで、その予防に力をいれるため、病院勤務の合間に「健康講座」を開催したところ、地域に共感を呼び、我々も出来ることがあれば手伝いたいとボランティアが増加して、今ではこれが大きな地域力になっているとのことでした。
 また、あるガン患者(40才台の母親)の例を引き合いに出され、正直に「余命3ヶ月」と告知したところ、6ヶ月先の子供の卒業式に何としても出席してやりたいとの強い希望から、医療を越えてこれを見事に実現させた実話を披露され、人間は自分の困難を横に置いてでも、子供や家族のために力が出せるものだとのご教示をくださいました。
 嘘をつかず正直に、ショックを与えないような温かさをもって接することの大事さが、奇跡を起こすのだとのことでした。
 医療者やボランティアの対応や言葉は、各々の日々を、天国にも地獄にもするものとの感を強くいたしました。
2010/01/29のBlog
[ 17:19 ] [ 生活・社会 ]
日 時 平成22年1月29日(金)
場 所 グリーンハイツ
講 師 大森節子氏(C・キッズ・ネットワーク 理事長)
 高齢者を中心に振り込め詐欺等、悪質商法が後を絶たない
ことから、その手口と心がまえを教えていただきました。
 まず「不当請求」と言われる詐欺のお話しで、手紙やら葉書
やらで、さも権威ある機関からであるかのような内容を送りつけ
代金を請求するもので、いづれにしても身に覚えの無いものは
絶対に支払わないことと、電話等で照会しないことで、無視するのが一番とのこと。
 「振り込め詐欺」についてですが、さすがに警察や消費者センター等の努力もあって、今はピーク時に比べ3割程度まで減少してきたとのことですが、それでも2009年度で「7300件、95億円」の被害が出ているそうです。
 その他、「かたり商法」「実験商法」「点検商法」「送りつけ商法」「マルチ商法」等々、数々の手口の説明がありました。
 「契約」とは、「申し出+合意」で成立し、口約束もまた契約であることから、この種の商法には、日本人特有の"玉虫色"の対応は禁物のようです。
 ただ、うっかり契約してしまったら、あわてずに「特定商取引法」の"クーリング・オフ"制度で対抗しましょうとのことでした。
 ①雰囲気に惑わされない。②はっきり断る。③家族や消費者センターに相談する。・・・が大事なことであると思われました。
 
2010/01/25のBlog
[ 21:49 ] [ 歴史・考古 ]
日 時:平成22年1月25日(月)
場 所:宝塚西公民館
講 師:田辺 眞人 園田女子大学名誉教授
 あの大震災からはや十五年を経過しましたが、二十歳までの
人には記憶が残っていないか、まだ生まれていなかった人たちで
これからもこの様な人たちが増えて行くのでしょう。
 さて、あの震災前の1/8の神戸新聞の記事に立命館大の見野教授の研究で21世紀半ばまでにマグニチュード7クラスの地震が連続して起きる可能性があると指摘。
[関西は地震に対する意識が薄く防災体制が不十分]と警告している。
 その理由として過去の地震記録から起きることを予測されたようだ。
そこで講師(田辺先生)から1185年7月京都で起きた様子を平家物語の十二之巻の先頭に「大地震」として地震の様子と、鴨 長明の「方丈記」(1185年)の一節を各々の原文を解説された。
 また、時代は下り1596年に起きた京都での地震の様子が山科時経の「言経卿記」での詳細な日記と須磨寺の記録の紹介があったが、この記録から兵庫では火事が起こったと書かれているのが象徴的でした。
この二つの地震記録の様子と先の大震災の被害状況は非常に似かよっていることが理解できましたが、どの時代でも大災害が起きれば同じようなことになり、しょせん人間は自然災害には勝てないのだろう。
2010/01/23のBlog
[ 19:21 ] [ 音楽・美術 ]
日 時 平成22年1月23日(土)
場 所 宝塚東公民館
講 師 河内厚郎氏(夙川学院短期大学教授)
 宝塚歌劇がもうすぐ100周年を迎えることもあって、同
歌劇団を中心に舞台芸術の歴史的経過についてのセミナー
がありました。
 宝塚大劇場が竣工したのが大正13年で、この年に日本初
のオーケストラ・宝塚交響楽団が発足したとのお話しで、日本で
初めてのオケが宝塚市に誕生したとは驚きでした。
 指揮者はオーストリアの作曲家:ヨーゼフ・ラスカ氏で、ウィーン的な娯楽音楽を同オケに伝えようと随分努力されたそうです。
 阪急の創始者:小林一三氏は、試行錯誤しながら宝塚少女歌劇を育成し、ついに昭和2年の「モン・パリ」で大ヒットをもたらし、レヴウ・ブームを起こしました。
 戦後は、男子部も作りましたが受入れられず、物資不足もあって華麗な舞台を作ることが出来ませんでしたが、昭和26年に初の1本もの「虞美人」で再び大ヒットを獲得します。
 その後、ジョージチャキリス等の来日で、少女歌劇はいったん斜陽となりますが、昭和49年の「ベルサイユのばら」が空前のヒットとなり、今日に至っております。
 近年は何もかもが、東京へ、東京へと行く中、せめて当歌劇だけは宝塚の”宝”として輝き続けてほしいものです。
 
2010/01/22のBlog
[ 22:07 ] [ 生活・社会 ]
日 時:平成22年1月21日(木)
場 所:人と防災未来センターひと未来館6F
講 師:(財)ひょうご震災記念21世紀研究機構
こころのケアセンター副センター長 加藤 寛
阪神・淡路大震災後に国内、海外に突然の災害、事件、事故が多く起きて「心のケア」への社会的関心が高まった。
これらでトラウマ体験をすると心や身体への影響は多彩であり「心のケア」を行なうと心理的問題のほとんどは回復が可能であり改善適応が得られる。
「心のケア」を提供する方法は①窓口がいくつも用意されていること②被害者本意のサービス③多様なニーズに応じられる体制④即時性⑤敷居の低さ⑥アウトリーチ:待っていては駄目。
「心のケア」の方法は①何時頃から初めるか②体制③有効な介入方法。阪神・淡路大震災以降は主に「心的外傷を受けた人へのケア」という意味で用いられてきた説明があった。
新潟県中越沖地震、平成21年台風9号、スマトラ沖地震・津波、四川大地震等においても阪神・淡路大震災後の「心のケア」活動の必要性が今や常識になり、ほとんどの災害で提供されている説明があった。
被災地内外関係者の温度差が生じるので外部からの支援者が心がける事は
①ペースを上げすぎない②押し付けがましいことを言わない③自分たちの経験が役に立つとは限らない④地元の人たちの疲弊を理解する⑤邪魔にならない様に控えめに。
四川大地震への協力・支援として①JICAによる公的支援事業②専門家チームを派遣③現地で、専門家向けセミナー開催④今後、5年間、被災地内の専門職への研修・教育活動を支援説明があった。 
支援時には外部からの支援者が心がける項目がいかに大事かと思いました。

2010/01/21のBlog
[ 21:13 ] [ 歴史・考古 ]
日 時 平成22年1月21日(木)
場 所 TOYRO倶楽部
講 師 木村武仁氏(霊山歴史館・学芸員)
 NHK大河ドラマの放映でたちまち人気となった坂本龍馬に
ついて、ドラマとは異なる部分を少しご紹介いただきました。
 最初に「龍馬の3大偉業」として、①薩長同盟の斡旋、②
大政奉還の成立、③船中八策(倒幕後の政策)の立案を
上げられ、いちもにもなく納得いたしました。
 次にもうテレビでも放映されましたが「久万川築堤の差配」ですが、この工事の責任者が父の友人であったことからこれに随行し、工夫等人の使い方を学んだようです。
 それから、やはりドラマで取上げられました「身分制度」のことですが、おおよそは山内家が関ヶ原の合戦後、掛川から土佐に移封された際、元々の家臣を"上士"とし、前藩主の長宗我部家の家臣を"下士"と位置づけた経緯があります。
 また「坂本家」ですが、テレビではかなり貧しく表現されていますが、たしかに身分は武士の最下層である郷士でしたが、本家の才谷屋は有数の豪商であり、実際はかなり裕福な家庭でしたので、19才で江戸へ留学も出来たそうです。
 龍馬が江戸へ出てわずか1ヶ月後に黒船が来航し、これがその後の龍馬に大きく影響を与えたことは、想像にかたくありません。
 龍馬は、生前はあまり知られていなかったようですが、坂崎紫瀾という新聞記者が「汗血千里駒」という連載を書いて、いちやく有名になったとのことでした。
 これからのドラマの展開が、より楽しみになってきました。