前のページ
|
次のページ
2009/06/25のBlog
[ 11:37 ]
2009/06/03のBlog
[ 13:56 ]
[ 教育・子育て ]
2009/05/29のBlog
[ 19:12 ]
2009/05/24のBlog
[ 16:34 ]
先週、神戸フリースクールの近くにあるモダン寺に関西の青年会議所の教育部会の有志およそ20名が集まって、不登校及びフリースクール活動について学習会を実施。
この不況下、青年実業家たちは「不登校・ひきこもり・ニート」などがビジネスにつながるかどうかに関心があったと思うが、残念なことに、僕を講師に選んでしまって、フリースクール活動というものが、およそビジネスとはほど遠いものであることに気づき、愕然とされたことだろうと思う。もちろん、不登校やひきこもりをビジネスにつなげ、高額な費用をとり、人権蹂躙な強制施設を建てて、青少年を隔離監禁し、時には死に追いやった不法な施設もないわけではないが、良心的にフリースクールを運営していこうとすれば、まず火の車を覚悟したほうがいいだろうと僕は説明した。新規事業への参入も考えていた人には気の毒と思うが、僕は「儲かる」から始めたわけではないし、「これで食っていける」と自覚したことは一度もない。だから、どんなに火の車が続いても、割合平気で進んできたし、これからも健康の許される限り、続けていくと思うと語った。
この不況下、青年実業家たちは「不登校・ひきこもり・ニート」などがビジネスにつながるかどうかに関心があったと思うが、残念なことに、僕を講師に選んでしまって、フリースクール活動というものが、およそビジネスとはほど遠いものであることに気づき、愕然とされたことだろうと思う。もちろん、不登校やひきこもりをビジネスにつなげ、高額な費用をとり、人権蹂躙な強制施設を建てて、青少年を隔離監禁し、時には死に追いやった不法な施設もないわけではないが、良心的にフリースクールを運営していこうとすれば、まず火の車を覚悟したほうがいいだろうと僕は説明した。新規事業への参入も考えていた人には気の毒と思うが、僕は「儲かる」から始めたわけではないし、「これで食っていける」と自覚したことは一度もない。だから、どんなに火の車が続いても、割合平気で進んできたし、これからも健康の許される限り、続けていくと思うと語った。
2009/03/21のBlog
[ 13:25 ]
18歳を過ぎると、ひきこもり者には、でかけようにも行く場所がなく、多くの保護者らが、どこへ相談を持ち込んだらいいのか迷い、結局医療機関(多くは神経科)に頼ることになり、大量の投薬と副作用に悩んでいる人もいる。ということが先日の不登校を考える親の会「アルバトロス」で熱心に語られた。
ぼくのフリースクールにも、これまで20代・30代からの問い合わせがあったが、ここは、小中学生が中心の居場所で、年齢制限も18歳となっており、対象外として受け入れることができず、大阪や京都の親の会を紹介したりしてきた。
一方ワラにもすがりたい親たちの不安につけこみ、愛知県の長田塾、丹波ナチュラルスクールなどの矯正施設が増えている。その経営者らは、ひきこもり者を理解し、サポートするというのとは全く逆の、ひどい暴力と人権蹂躙な脅迫行為によって、子どもと家庭を脅し、高額な会費を取り、殺人まで起こしている。にもかかわらず、長田塾長などは、なんの反省もなく、いまだに「子どもをダメにする家庭」などをテーマにして各地で講演を続けている。こういうことが許されるほど、この国は体罰には寛容な風土なのか、それがDVを助長しているのではないだろうか。
ひきこもり者の家族は周囲に理解者が少なく、孤立化しやすい。ひとりで悩み、悶々とした気持ちで毎日を過ごしている。そのつらい気持ちを受け止めてくれる人がいて、話しながら涙を見せても笑われることがなく、ちょっと肩の荷物をおろせる、そういう場がまだまだ必要なんだな、と僕はその話し合いの中で感じた。
そこで、さっそく数人の保護者と話し、「ひきこもりを話す親の会」を開く決心をした。目的は保護者同士が話し合い、共感しあうだけでなく、早い時期に、ひきこもる本人らがでかけて仲間と話したり、顔を合わせることができる「サロン」をつくろうということである。
☆ まず気楽に集まって、いろいろ話してみようということで
4月16日(木)午後4時~6時 第1回「ひきこもりを話す親の会」を開きます。
場所 神戸自由学院 (神戸市中央区北長狭通 7丁目3-11 坂下ビル2F)
交通 阪急花くま駅西口から西へ4~5分、 JR神戸駅から15分
電話 078-360-0016
アドレス kfs2008@live.jp ( 担当 神戸フリースクール田辺 ) 参加費500円(予定)
ぼくのフリースクールにも、これまで20代・30代からの問い合わせがあったが、ここは、小中学生が中心の居場所で、年齢制限も18歳となっており、対象外として受け入れることができず、大阪や京都の親の会を紹介したりしてきた。
一方ワラにもすがりたい親たちの不安につけこみ、愛知県の長田塾、丹波ナチュラルスクールなどの矯正施設が増えている。その経営者らは、ひきこもり者を理解し、サポートするというのとは全く逆の、ひどい暴力と人権蹂躙な脅迫行為によって、子どもと家庭を脅し、高額な会費を取り、殺人まで起こしている。にもかかわらず、長田塾長などは、なんの反省もなく、いまだに「子どもをダメにする家庭」などをテーマにして各地で講演を続けている。こういうことが許されるほど、この国は体罰には寛容な風土なのか、それがDVを助長しているのではないだろうか。
ひきこもり者の家族は周囲に理解者が少なく、孤立化しやすい。ひとりで悩み、悶々とした気持ちで毎日を過ごしている。そのつらい気持ちを受け止めてくれる人がいて、話しながら涙を見せても笑われることがなく、ちょっと肩の荷物をおろせる、そういう場がまだまだ必要なんだな、と僕はその話し合いの中で感じた。
そこで、さっそく数人の保護者と話し、「ひきこもりを話す親の会」を開く決心をした。目的は保護者同士が話し合い、共感しあうだけでなく、早い時期に、ひきこもる本人らがでかけて仲間と話したり、顔を合わせることができる「サロン」をつくろうということである。
☆ まず気楽に集まって、いろいろ話してみようということで
4月16日(木)午後4時~6時 第1回「ひきこもりを話す親の会」を開きます。
場所 神戸自由学院 (神戸市中央区北長狭通 7丁目3-11 坂下ビル2F)
交通 阪急花くま駅西口から西へ4~5分、 JR神戸駅から15分
電話 078-360-0016
アドレス kfs2008@live.jp ( 担当 神戸フリースクール田辺 ) 参加費500円(予定)
2009/03/20のBlog
[ 00:40 ]
2009/03/16のBlog
[ 18:51 ]
[ 教育・子育て ]
震災で自宅兼教室が全壊。でも行くとこがなく、途方にくれてたら、卒業生や知り合いが歩いて遠方から駆けつけてくれ、水やおにぎりを運んでくれた。うれしかったですね。でも感動や恐怖心も時間とともに薄れていくものですね。感謝さえもが・・・・
避難所や仮設に入った生徒らが、ボチボチ集まりはじめたとき、最初のあいさつは・・・・ 「 生きてた? 」 そして答えは 「 生きてた。生きてた。 」 だった。 生きてることを実感できた経験は、長く生きてる(?たかが65年だ)けど、リアルに感じたのは初めてかなあ。ひとつまちがえば死んでた、でも生きてた、っていう経験。第2次世界大戦のとき、昭和19年に生まれ、焼夷弾の降る神戸の街を、母のネンネコの中ではしゃいでいた僕だから、戦時中といえ、恐怖も悲しさもない。母は戦争と震災で生きてる間に2度も恐ろしい目にあったと言ってたけど、僕には初めてのことだった。
そして、そのあとから感じるようになったのは
「生きてた」 から 「生かされた」 だった 亡くなった友や なにかを仕残した仲間の分を 引き継ごうと・・・・・・
生かされたんだから、拾いもんのイノチや、先は少ないけど・・・・
子どもの側にしっかり立って、子どもの権利条約をないがしろにしないで
生き残ったことが ちょっとでも よかったと 言えるように
このフリースクールを続けていこうと 軽く決心した ように思う
やっと今年で20年
さあ あと なにができるやろ?
ちょっととんでもないプロジェクトをスタートした
市民がつくる「学校」、学校を否定的にとらえてきたフリースクールが
いま「学校」をつくろうとしている
なにか おもしろいと 思わないですか? 今日はここまで。
避難所や仮設に入った生徒らが、ボチボチ集まりはじめたとき、最初のあいさつは・・・・ 「 生きてた? 」 そして答えは 「 生きてた。生きてた。 」 だった。 生きてることを実感できた経験は、長く生きてる(?たかが65年だ)けど、リアルに感じたのは初めてかなあ。ひとつまちがえば死んでた、でも生きてた、っていう経験。第2次世界大戦のとき、昭和19年に生まれ、焼夷弾の降る神戸の街を、母のネンネコの中ではしゃいでいた僕だから、戦時中といえ、恐怖も悲しさもない。母は戦争と震災で生きてる間に2度も恐ろしい目にあったと言ってたけど、僕には初めてのことだった。
そして、そのあとから感じるようになったのは
「生きてた」 から 「生かされた」 だった 亡くなった友や なにかを仕残した仲間の分を 引き継ごうと・・・・・・
生かされたんだから、拾いもんのイノチや、先は少ないけど・・・・
子どもの側にしっかり立って、子どもの権利条約をないがしろにしないで
生き残ったことが ちょっとでも よかったと 言えるように
このフリースクールを続けていこうと 軽く決心した ように思う
やっと今年で20年
さあ あと なにができるやろ?
ちょっととんでもないプロジェクトをスタートした
市民がつくる「学校」、学校を否定的にとらえてきたフリースクールが
いま「学校」をつくろうとしている
なにか おもしろいと 思わないですか? 今日はここまで。
2009/03/10のBlog
[ 22:14 ]
いま27歳になる息子が「おとうさん、学校がだるい」と登校拒否宣言したのは、彼がまだ小学校3年生のときだった。その彼といっしょにフリースクールを続けてきて、今年で20年を迎える。長いからいいというものではないだろう。国や行政からの助成も補助もなく、個人の力ににまかされているフリースクールなんて続くわけがなく、学校が子どもの多様性を認め、個を大事にする学校が現れたら、必要なくなる。そんな民主的な学校がもどってくるまでの「つなぎ」だと考えていた。震災で自宅や教室が全壊したとき、学校の教師らも「いのち」に心が傾き、生徒と教師が抱き合うシーンがくりかえし報道され、学校が学歴偏重から教育の原点に立ち戻ったと評価され、不登校生の減少を証明するデーターも掲げられた。学校がこのまま民主化への道を歩みだすなら、これでフリースクールも不要になるのではないかと、一瞬、これでフリースクールから足を洗えると考えていた。しかし安心できたのはまさにつかのまのことだった。
・・・つづく チャラン
・・・つづく チャラン
前のページ
|
次のページ




