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シニア文化塾だより
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2012/02/02のBlog
後期講座(歴史コース)(9月~1月:全15回講義)の第15回講義の報告です。
・日時:1月31日(火) am10時~12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「経営の神様・鳥井駒吉と藤本荘太郎」
・講師: 桧本 多加三先生(雑誌「堺・泉州」編集長)
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*経営の神様というと松下幸之助の名前をあげる人が多いと思いますが、明治期の堺には幸之助に勝るとも劣らない経営者がいました。それが、鳥井駒吉藤本荘太郎です。(桧本講師)
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緞通王・藤本荘太郎(ふじもと そうたろう)
○“アメリカ・フランスなど外国にも積極的に乗り出し、様々な技術改良や新製品の開発によって、 「堺緞通」の黄金時代を築き、メイド・イン・ジャパンを世界に広めた。”
【略歴】
・嘉永2年(1849)、藤本荘太郎・堺で生れる。
・藤本家の先祖は、組紐のしごとをしてきたが、荘太郎の祖父・庄左衛門が緞通を開始。文久2年(1862)、荘太郎は父とともに模様摺込の機械を発明し、「模様摺込緞通」を開始。
・明治10年(1877)、東京での「第1回内国博覧会」に出品。→ 「堺緞通」の名を知らしめる
・明治11年(1878)から、アメリカ・フランス・ドイツ・イギリス・ロシアに輸出
・明治26年(1893)、 「シカゴ万国博覧会」に出品大好評でアメリカ・メーソン社と提携。(アメリカに大量輸出)
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(注)当時の堺の人口と緞通業者
(明治21年)…業者91軒、職工1400人
(明治30年頃)…業者3000軒、従事者2万人(当時の堺の人口は約6万人)
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・明治30年代に入ると、 「堺緞通」の粗製乱造が激しく、その上、関税引き上げで、さっぱり売れなくなった。→堺緞通のたそがれの中、明治35年逝去。
(注)「緞通」(だんつう)…地糸に綿・麻または羊毛などの毛を用いた厚い敷物用織物。種々の織込糸を用いて模様をつける。中近東(ペルシャ)から中国を経て日本に伝来し、江戸時代から近世にかけて堺・佐賀地方で盛んに生産された手織りの敷物。
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経営の神様・鳥井駒吉(とりい こまきち)
○“17歳で家業の酒造業を継ぎ、仲間と同業者と助け合って、精米会社、醸造改良試験所、共同醸造所を設立。日本で初めてビン詰の酒を作る.など商才に富み、ビール製造にも目をつけ、吹田にビール工場(現在のアサヒビール)を創設。また、我が国初の民間鉄道の阪堺鉄道(現在の南海電鉄)の創設にも尽力。”
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*右は、鳥井駒吉の肖像です。(堺市・地域資料「堺と酒造」より)
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【略歴】
・嘉永6年(1853)、米穀商の和泉屋伊助の次男として堺市に生れる。父の伊助は養子であったが、分家して酒造業を始めた。。
・明治3年(1870)17歳の時、父の死より、家業の酒造業を継ぐ。
・鳥井駒吉をなのり、清酒名も「鳥井」「春駒」「旭山」といった銘柄で発売。
・堺は、灘や西宮・伊丹などどともに、江戸時代に清酒の名産地。この伝統ある堺の酒造業のなかで、鳥井駒吉は頭角を現わしていく⇒明治12年(1879)27歳で堺酒造組合長に就任。明治16年(1883)に精米会社、明治19年(1886)に醸造改良試験所、明治20年(1887)に共同醸造所を設立した。・・・“いずれも醸造技術の改良や生産の合理化を目的とする革新的な取り組み”
・明治21年(1888)、バルセロナ万博(スペイン)にビン詰の清酒を出品。明治25年からは日本酒を初めて、ビン詰で発売。
・当時、高級品だったビール製造にも目をつけ、明治21年(1888)大阪麦酒会社を創立して社長となり、明治25年(1892)から「アサヒビール」を発売。
・また、明治18年(1885)には、阪堺鉄道という我が国初めての民間鉄道をスタートさせ、明治37年(1904)には2代目社長に就任(現在の南海電鉄)。
・駒吉は、多くの公職(堺県会議員、大阪府会議員など)にもついている

*鳥井駒吉は、「知覚・才能を発揮した経営者だが、仲間や地域と共に全体で成長した経営者であった」
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平成23年度「後期講座(歴史コース)」(9月~1月:全15回講義)は、今日(1月31日)で終了しました。講師の先生並びに受講生・聴講生の皆様に、厚く御礼申し上げます。

今後のスケジュール
(2月は冬休みです)

3月から「前期講座(歴史コース)」(3月~7月:全15回講義)がスタートします。
*第1回講義
・日時:3月6日(火)am10時~12時
・場所:すばるホール
・演題: 「興福寺阿修羅像とその源流」
・講師:山岸 公基先生(奈良教育大学教授)
2012/01/30のBlog
後期講座(文学・文芸コース)(9月~1月:全15回講義)の第15回講義の報告です。
・日時:平成24年1月26日(木)午後1時半~3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「いきいき朗読」(手紙を読む)~夫から妻へ 妻から夫へ 60歳のラブレター~
・講師: 野村 康子先生(朗読講師)
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講義の内容
1.発声練習(毎回、全員で発声練習から始まります)
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*右上の写真は、全員立って、発声練習をしているところです。
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・五十音(・・・キャ・ケ・キ・キュ・ケ・キョ・キャ・キョ・・・)
・外郎売り(・・・小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと色々に申せども、平仮名をもって「ういろう」と記(しる)せしは親方円斉ばかり。もしやお立合のうちに・・・)
・発声練習の基本⇒①腹式呼吸による発声 ②正しい発音(口の開け方、顔の表情筋の使い方) ③肩の力を抜く ④毎日、鏡を見ながら発声練習
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2.今日の題材「手紙を読む」
「夫から妻へ 妻から夫へ 60歳のラブレター」 (NHK出版 編)
・夫婦として共に歩み、節目の時をを迎えた二人。夫婦とは何か、人生とは何か、立ち止まって考えてみたくなる熟年世代に向けた本(NHK出版)から、手紙7通を選んで、今日の朗読の題材。

☆妻から夫へ
何でも物を大事にするあなたへ
けんかの後で、
あなたは何でも大切にするのに
どうして奥さんは大切にできないの?
と私が聞いたら、
「お前さんは物じゃないもの、俺の一部だものなあ」とつぶやいた。
それなら いいか・・・・・・。
(神奈川県横浜市 63歳)
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☆夫から妻へ
私が先に死んだら
新しい奥さんをもらいなさいよ。
いいとも、その時は
うんと若いかみさんをもらおうか。
そんな話をしたことを覚えているかい。
あれは、冗談のはずだろう?
それなのに、ほんとうに先に逝くなんて
そりゃないよ。
でも、心配するな。
なんでもひとりで出来るようになったんだ。
掃除だって、洗濯だって、
ちゃんとやってるさ。
料理だって、立派なもんだ。
きみに見せたいくらいだ。
でもな~
でもな~
ひとりぼっちで笑うのって
むずかしいよ・・・・・・。
(東京都世田谷区 52歳)
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平成23年度「後期講座(文学・文芸コース)」(9月~1月:全15回講義)は、今日(1月26日)で終了しました。講師の先生並びに受講生・聴講生の皆様に、厚く御礼申し上げます。

今後のスケジュール
(2月は冬休みです)

3月から「前期講座(文学・文芸コース)」(3月~7月:全11回講義)がスタートします。
*第1回講義
・日時:3月1日(木)午後1時半~3時半
・場所:すばるホール
・演題: 「徒然草」~心と言葉~
・講師:小野 恭靖(おの みつはる)先生(大阪教育大学教授)
2012/01/25のBlog
後期講座(歴史コース)(9月~1月:全15回講義)の第14回講義の報告です。
・日時:1月24日(火)am10時~12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 『平家物語』を読む』 ~清盛、摂関家と訣別~
・講師:四重田 陽美(よえだ ひろみ)先生(大阪大谷大学教授)
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平清盛[関係年表]*
・1118年:平忠盛(ただもり)の嫡男として生れる
・1153年:(36歳)父忠盛の死後、平家一門を率いる(武門棟梁)
・1156年:(39歳)保元の乱
・1159年:(42歳)平治の乱
・1167年:(50歳)太政大臣
・1168年:(51歳)出家
・1181年:(64歳)死去
・1185年:壇の浦の戦いで平氏滅亡
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講義の内容
1.天皇と武士の関係
(1)武士の「本分」
・「朝家(ちょうか)の護り」 …“天皇家をまもる”
(2)院政
・院政…天皇が「上皇」(譲位後の天皇の呼称・太上(だじょう)天皇)や「法皇」(上皇が出家したときの呼称)となって事件を握り、国を統治する政治形態
・場所と人…「内裏」(だいり)=天皇、 「院」=上皇
・堀河天皇(8歳)に譲位した白河上皇が、院庁を開設した1186年を院政の始まりと考える。
(3)武士の台頭
「北面の武士」 (院の北側に置いて警備を行なわせた)
・院政は、白河・鳥羽・後白河上皇と、3代100年にわたって続く→武士を重用
(4)末法思想
・仏教が日本に伝来(538年?)して、約500年経過し、仏教が浸透していた時代。-「末法思想」が拡がり、1052年を末法元年とする説が信じられていた。
・仏法が乱れる末法の世で、王法もまた乱れ始めていた
・鳥羽上皇は五歳、近衛上皇は三歳、1165年には六条天皇が二歳で皇位継承した。
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2.平家物語・「東宮立」 (とうぐうだち)
(あらすじ)
・二歳の六条天皇が即位。・・・建春門院(滋子。清盛の妻・時子の妹)が生んだ後白河院の皇子(五歳)に親王の宣旨。・・・仁安元年(1166)に親王の皇子が東宮(皇太子)にお立ちになった。
・六条天皇は、二歳で皇位をうけ、ようやく五歳になったばかりの二月十九日、東宮に践祚(せんそー天皇の位を受け継ぐこと)して、新院になった。・・・まだ成人にもなられないで、上皇の尊号を受けられた。中国、わが国を通じてこれが初めてであろう。
・仁安三年、新帝は大極殿で即位された-高倉天皇と申される。⇒この君の即位は、ますます平家の栄華と思われた
・後白河院の妻・高倉天皇の母、建春門院は、平家の一族であり、清盛の妻の妹である。また、平大納言時忠も、建春門院の兄であり、天皇の外戚である。

○「時の人平関白とぞ申しける」(当時の人は、時忠卿のことを平関白ともうしあげた)
「平家一門にあらざるものは、人にして人にあらず」 (平時忠)
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3.平家物語・「殿下乗合」(てんがののりあい)
*「殿下乗合」…重盛(清盛の長男)の次男・資盛(すけもり)が引き起こした殿下(摂政・関白)の乗合事件
(事件のあらすじ)
・十三歳の資盛は、若い侍どもを引きつれて、紫野の周辺で、終日、狩りをして、暮れ方になって六波羅に帰られた。ところが途中、御所に参内しようとしていた摂政の藤原基房の一行と、大炊御門猪熊というところで、ばったりと出会った
・騒ぎはその時に起こりました。…下馬(げば)の礼をとることなく、駆け破って通ろうとする資盛一行に、すこしはわかっていても、知らないふりをして、基房の供の者たちが馬から引きずり落とし、すっかり恥をかかせた
・六波羅に逃げ帰った資盛は、祖父の入道相国(清盛)に訴えた。入道はたいへん怒って、“摂政殿への恨みをはらしたい” 。…重盛は、“重盛の子供ともあろう者どもが、摂政殿のおでましに出会って、乗り物から降りなかったことこそ、愚かです”といって、事件に関係した侍どもを呼び寄せて、“まちがって殿下へ不礼をはたらいたことを、私の方からお詫びを申し上げたいとおもっている”。
清盛は、重盛に相談しないで、片田舎の侍どもを集めて「資盛の恥をすすげ」。…宮中の会議のために御所に向かう摂政・基房の一行に、猪熊堀河の辺で、待ち伏せていた三百余騎が一度に襲いかかる。お供のもとどりを切ったり、牛車をこわしたりした。…清盛は、“よくやった”とおっしゃた。…しかし、重盛は非常におあわてなさった。出かけていった侍どもを皆、処罰し、資盛はしばらく伊勢の国に謹慎させた。だから、この重盛大将のことを、君も臣も感心なさったということであった。

○『平家物語』の作者は、この事件を「是こそ平家の悪行(あくぎょう)の始(はじめ)なれ”/b>と評しています。
●そして、事実は、この事件の黒幕はほかならぬ重盛であったらしい。
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*四重田先生からのメッセージ*
「現在、大学では、日本語表現演習という講義で、学生たちに、日本語で自己表現することを教えたり、現代教養講座Ⅰ(文学)で、平家物語や源氏物語を購読したりしています。誰かを愛した時に、その人にどれだけ尽くしてもらうかを考えるのではなく、その人のためにどれだけ尽くせるかを考えること、あるいは、どういう死に方をすることがよく生きたといえることになるかを考えること、など、今の日本には薄れている古典の中の日本人を語り合っています。」
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歴史コースの次回講義[案内]
・日時:1月31日(火)am10時~12時
・演題:経営の神様「鳥井駒吉」
・講師:桧本 多加三先生(雑誌「堺泉州」編集長)
2012/01/20のBlog
後期講座(文学・文芸コース)(9月~1月:全15回講義)の第14回講義の報告です。

・日時:H24年1月19日(木)午後1時半~3時半
・場所:すばるホール
・演題: 「秋成の俳諧と交遊」
・講師: 根来 尚子先生(柿衞文庫 学芸員)

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講義の内容
1.上田秋成(うえだ あきなり) 略年譜
○江戸時代後期の読本作者、俳人、歌人、茶人、国学者、怪異小説「雨月物語」の作者
[1734年(享保十九)~1809年(文化六)]
・1734年:大阪曽根崎生まれ。
・1737年(元文二):4歳-養子になる。(大阪堂島の紙油商人、上田満宜(屋号嶋屋)
・十代の終りから放蕩の生活を送るが、俳諧を学ぶ
・1760年(宝暦十):27歳-植山たまと結婚
・1768年(明和五):35歳-『雨月物語』脱稿
・1771年(明和八):火災で家財を失い医業を志す
・1776年(安永五):43歳-この頃、与謝蕪村・高井几董らとの交流さかん
・1786年(天明六):53歳本居宣長と激論交わす
・1790年(寛政二):57歳左目を失明する。妻のたまが剃髪し、瑚璉尼と称した。
・1798年(寛政十):65歳右目も失明。谷川家の治療で左目がある程度回復し、没するまで著作活動を続ける
・1805年~1809年:72歳~76歳-『藤簍冊子』、『毎月集』、『茶瘕酔言』、『胆大小心録』、『春雨物語』、『背振翁伝』、『俳調義論』、『文反古』など晩年に多くの著書。1807年(74歳)の折、書き留めていた草稿を古井戸に捨てる挙にでる。
・1809年(文化六):76歳で没。贈り名は「三余無腸居士」
*ほぼ同時期に、江戸で活躍した読本作者に曲亭馬琴や山東京伝がいる。
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2.秋成の俳諧
①【20代~40代 漁焉時代】
○「翁わかき時は、俳かいといかいふ事を習て、凡四十ちかくまで、是よりほかの遊びはなかりし」(胆大小心録)→秋成の自伝・・・40歳ちかくまで俳諧に熱中した。
漁焉(ぎょれん)は、秋成の俳号で、以下の俳書に収録されています。
「けふの春 花咲山を 算(かぞ)へけり」 (秋成20歳))『宝暦三年 紹簾歳旦』→紹簾(しょうれん)-大阪俳壇で宗匠として活躍)の「歳旦帖」に収録。
(句意)(新春を寿ぐ句。新しい春を迎えた。いっぱい咲いている花山をみて占った)
「雲淋し 冬はあらはに 北の山」 (秋成22歳)『俳諧十六日』→秋成(漁焉)、発句をつとめる。
○秋成は、大阪俳壇において「ひとり武者」(ひとりで頑張っている)として評されている。当時の俳諧は、数人が寄り合って三十六句以上を付けていく共同作業の「座」に文芸であった。
*「ひとり武者は鬼上又きんど、ぞゑん(ぎょれん=秋成のこと)、きようごなど皆はいかいのしれ者なるが」(『列仙伝』)
②【40代~50代 無腸時代】
無腸は、秋成の俳号で、1773年(安永二)から用いたとされる。
・【無腸」とは、(かに)のことで、手の指の不具にひっかけた。蕪村も書簡で「蟹先生」と親しげに呼んでいる。
「桜さくら 散て佳人の 夢に入」(秋成43歳)『続あけがらす』
『也哉抄』(やかなしょう)(秋成著 1774年(安永三))
・秋成の切れ字論書。この書の序文に与謝蕪村がよせている。
「…ここに我友無腸居士なるものあり。…俗流に交わらず。…おのれがこころの適ところに随ひて、よき事をよしとす。まことに奇異のくせもの也」と、秋成の人柄を綴っている。
③ 【60代~70代】
「春の雲 行々(こうこう)鶴に おくれたり」 (秋成74歳)
(句意)(春の雲の流れをぬって春に北へ帰る鶴、その鶴のはやさに雲が遅れている、と雲に視点を移して詠んだ句)
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3.秋成の交遊
・秋成は60歳で京都に移り、交遊がひろがる。
「村瀬栲亭」 (儒者で煎茶仲間)
「本居宣長」 (国学者)
「円山応挙」、「松村月渓」 (画家)
「小澤芦庵」 (歌人)など
『胆大小心録』(たんだいしょうしんろく)(秋成、晩年の随筆で、自らの本音をはばかることなく書いています。)
★本居宣長への痛罵
「ひが事をいふて也とも弟子ほしや古事記伝兵衛と人は言ふとも」
[嘘まで言って弟子が欲しいのか。(宣長の代表作「古事記伝」と乞食をひっかけて)乞食同様の人物だと悪口を言われても]・・・と悪意丸出しで罵っている。
★儒者への悪口
「国学者が唐(中国)の事を考えると、儒者が日本の事をいふと、力がありたけて、儒者の方がすかたんが多い。」…どんな力んでいても、儒学者の方がすかたんが多い。
★歌人への悪口
「都なれば、歌よむと云人多し。皆口真似のえまねむ也」 …歌よむ人が多いというが、口真似でうまく真似ていない。
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4.秋成と谷川家
・秋成は57歳で左眼を、65歳の時に右目を失明します。
・物書きを生業とする者にとって、両眼の光を失うということは、まさに作家としての命を絶たれることに等しかったに違いがありません。
・その左眼を治療し、秋成の晩年の創作を可能にしたのが、播磨の眼科医、谷川良順(りょうじゅん)・良益(りょうえき)・良正(りょうしょう)の三兄弟でした。
・秋成が三兄弟のことを 「神医」 と呼んだ、その言葉には秋成の並々ならぬ感謝と敬意が示されています。
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*右上のパンフレットの紹介
・企画展「-谷川家資料に見るー神医と秋成」
・期間:3月3日(土)~25日(日)(月曜日休館)
・会場:(財)柿衞文庫(かきもりぶんこ)
・住所:伊丹市宮ノ前2-5-20
・電話:072-782-0244
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文学・文芸コースの次回講義(案内)
・日時:1月26日(木)午後1時半~3時半
・演題: 「いきいき朗読」~ 「60歳のラブレター」(NHK出版)など~
・講師:野村 康子先生(朗読講師)
2012/01/16のBlog
後期講座(文学・文芸コース)の第13回講義の報告です。
・日時:平成24年1月12日(木)午後1時半~3時半
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 「万葉空間」(5)~万葉集の世界に遊びませんか~
・講師:辻 孝子先生(カルチャー講師)
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講義の内容
1.万葉集の季節感(二十四節気)
「小寒」(しょうかん)…1月6日。寒の入り、寒さが厳しい。
「大寒」(だいかん)…1月21日。寒さの盛り
・(初夢)「一富士、二鷹、三茄子」
★「富士」を詠んだ歌
(巻3-318) 「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」 (山部赤人)
(歌意)(田子(たご)の浦沿いの道を通って、視界が開けた所に出てみると、富士山の高嶺に真っ白に雪が降り積もっていることだ)
*上記の歌は、一部歌詞に変化はあるが、「小倉百人一首」にも収められる秀歌です。
「田子の浦 うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 」(山部赤人)
★「初春の雪」を詠んだ歌
(巻20-4516) 「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)」 (大伴家持)
(歌意)(あたらしい年の初めの初春の今日、めでたくも降る雪のように、いよいよ良いことが重なるように)…万葉集の最後(4516)の歌として置かれています。
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2.額田王をめぐる二人の皇子
(1)中大兄皇子(後の天智天皇)の歌
☆(巻1-13)「香具山は 畝傍ををしと 耳成と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻をあらそうらしき」
☆(巻1-14)「香具山と 耳成山と 闘(あ)ひしとき 立ちて見に来し 印南国原」
☆(巻1-15) 「海神(わたつみ)の 豊旗雲に 入日さし 今夜(こよい)の月夜 さやけかりこそ」
(歌意)(海上に大きくなびく雲に入り日が射している。今夜の月は明るく照ってほしいものだ)
(2)額田王の歌
☆(巻1-8)「熟田津に 船のりせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」(額田王)
(3)大海人皇子(後の天武天皇)と額田王の歌
☆(巻1-20) 「あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る」 (額田王)
(歌意)(天皇以外立入り禁止の紫野に入り込んで、私に求愛するなんて。野の番人が見とがめるではありませんか)
・「あかね(茜)さす」は日・昼・紫にかかる枕詞。「紫野」は紫草を栽培している野で、根から染料をとった。
・「標野」は一般の人は立ち入れない野。
・「袖を振る」のは求愛のしるしである。
☆(巻1-21) 「紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも」 (大海人皇子)
(歌意)(紫草のようにあでやかなあなたが憎いのなら、もう人妻なのに何で私が恋をするだろうか)
・「にほふ」は、内側からあふれるように、つややかで美しいようす。
・「妹」は男性が妻や恋人を呼ぶ語。
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3.「白村江の戦い」・・・ 「壬申の乱」
【白村江の戦い】(663年)
・661年(斉明七)正月六日、斉明天皇一行は、百済救援のため難波津を出港、九州へ向かった。14日には伊予の熟田津に到着。
・船団はやがて筑紫へつき、那(な)の大津(博多港)についた。(3月25日)
・しかし、四ヵ月後、斉明天皇が崩御
・中大兄皇子は、母(斉明天皇)の死をいたむ間もなく、筑紫にとどまり、百済救援軍の指揮に全力を注いだ。
・翌662年に、先発部隊として兵5000を出発させ、その翌年に2万7000の大兵力を百済に派遣した。
663年(天智二)、白村江(はくすきのえ/ハクソンコウ)で、日本軍と百済軍は、唐・新羅連合軍に大敗
【壬申の乱】(672年)
・天智天皇(中大兄皇子)と大海人皇子(後の天武天皇)は兄弟
・兄の天智が皇位継承者にしようとしたのは、実子の大友皇子(おおとものみこ)。
・当時の慣例では、天皇に有力な弟がいる場合、その弟が兄の跡を継ぐとなっていたが・・・。
・671年12月、天智が亡くなると、大海人皇子は挙兵を決意する。
672年7月、瀬田橋の戦いで、大友皇子は自害し、大海人皇子が勝利。
・勝利した大海人皇子は飛鳥で即位し、天武天皇になった。
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文学・文芸コースの次回講義(案内)
・日時:1月19日(木)午後1時半~3時半
・演題: 「秋成の俳諧と交遊」
・講師: 根来 尚子先生((財)柿衞文庫 学芸員)
2012/01/12のBlog
後期講座(歴史コース)の第13回講義の報告です。
・日時:H24年1月10日(火)am10時~12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題: 『東アジアの墳墓』
・講師: 笠井 敏光先生(文化プロデューサー)
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【東アジア】
・アジアの分類…東アジア、西アジア、中央アジア、南アジア、東南アジア
・東アジアとは…日本、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国、モンゴル国、台湾
【日本・中国・韓国の連関】併行関係
(日本)・・・・・・(韓国)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中国)
[弥生]・・・・・・[三韓](馬韓・辰韓・弁韓).・・・・・・[漢~三国(魏・呉・蜀)]
[古墳]・・・・・・[三国](高句麗・百済・新羅)・・・・[南北朝]
[飛鳥・奈良]・・・[統一新羅]・・・・・・・・・・・・・・・・[隋・唐]
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1.朝鮮半島三国時代
・前2世紀…衛満朝鮮
・前108年…4郡設置(漢郡県時代-中国の支配)
・204年頃…帯方郡+楽浪郡
・313年…郡県時代終わる
・4世紀後半まで…三韓時代(馬韓・辰韓・弁韓)
・4世紀後半~7世紀後半…三国時代
高句麗(こうくり/ コグリョ)】前1世紀~668年
百済(くだら/ペクチェ)】4世紀前半~660年
新羅(しらぎ/シルラ)】4世紀後半~935年
・7世紀…隋・唐が高句麗を侵略
(660年)→(新羅+唐)×百済(百済の滅亡)
(668年)→(新羅+唐)×高句麗(高句麗の滅亡)
(676年)→(唐)×新羅⇒統一新羅(676年~935年)(都は慶州)
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2.朝鮮半島の墳墓
(1)高句麗の墳墓
・積石塚…墳丘の形状は方形で、石を積み上げて墳丘を造る(シベリア・エニセイ川流域の影響)
・大きさ…1辺31m(将軍塚)、66m(大王塚)
・墳丘上から瓦が出土(墓堂などの施設が存在していた)
・横穴式石室(中国の影響)
(2)新羅の墳墓
・積石塚(高句麗の影響)
・木槨(もっかく)(中国の影響)…地面を掘った穴の中に棺よりも大きな木の囲い(木槨)を造り、その中に被葬者や副葬品を納める
・墳丘の形状…円墳もしくは円墳が結合した双円墳
・大きさ…114m(皇南大塚)
(3)百済の墳墓
・漢城(ソウル)に最初の都
・積石塚(高句麗の影響)
・副葬品(中国・南朝の強い影響)
・墳丘の形状…方墳⇒円墳
・大きさ…30m
(4)伽耶(かや)の墳墓
・伽耶という国はなく、伽耶諸国(伽耶地方)
・墳丘の形状…円墳
・大きさ…30m
・竪穴式
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3.まとめ
○墳墓を見るときの3つのポイント
①墳丘
②内部主体(構造)…横穴式・竪穴式、石室、木槨
③副葬品
○中国・朝鮮半島の墳墓
①宮都 ②山城 ③墓←この3つがセット
○日本の墳墓は“特異”.
・墳丘…前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳など多様性
・大きさ…486m(巨大性
・外部…埴輪、葺石、段築、濠
倭の王権と朝鮮半島
・倭は、東アジアの国際社会において、主に百済と提携し、さらに伽耶諸国とも結び、高句麗に対立

*(笠井講師)…日本だけの墳墓を見るのではなく、せめて朝鮮半島の墳墓をみて、その特質を分析することが大事です。
2012/01/09のBlog
○シニア文化塾「前期講座」のご案内
・年間を前期(3月~7月)と後期(9月~1月)に分けています。
・文化講座のコースは、 「歴史コース」 と「文学・文芸コース」</b>があります。
・受講資格は、シニアであれば、どこの地域からも、お申込できます。
受講生と聴講生
□受講生…全ての講義(歴史コース:15講義、文学・文芸コース:11講義)を受講申込。受講料は、第1回講義の時、一括して支払います。
■聴講生…学びたい講義を選択して聴講申込。聴講費はその都度支払います。
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*右上の写真は、昨年11月25日、文化塾ウォーキング 「源氏物語宇治十帖を訪ね錦秋の紅葉谷を歩く」で、「平等院鳳凰堂」を訪れた時の集合写真です。
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2012年前期講座「文学・文芸コース」のご案内
*右の資料をご覧下さい。
・期 間:3月~7月
・開催日:木曜日 午後1時半~3時半
・場 所:すばるホール(3階会議室)(富田林市)
・定員:45名
・受講費用:7,100円
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*右の日程表をご覧下さい。
講義数:全11講義
【古典】-(万葉集)2講義、(徒然草)1講義
【江戸文学】-(西鶴)1講義
【近世・現代小説】-(谷崎潤一郎)1講義、(村上春樹)1講義
【短歌】-(西行法師)1講義、(明星/五人の才媛)1講義
【俳諧】-(蕪村・月渓)1講義
【文芸など】-(香道)1講義、(上方落語)1講義
・講師:11名…各分野でご活躍の先生方です。
・講座に関連した現地ウォーキングも行なっています。

現在、受講生・聴講生募集中です。(申込締切:2月18日(土))
○下記の場所にチラシを置きました。
・富田林市…公民館・図書館(中央/金剛/東/喜志)、すばるホール
・河内長野市…公民館(キックス、三日市)、ラブリーホール
・大阪狭山市…公民館、図書館、さやかホール、狭山池博物館
・河南町・千早赤阪村…図書館
・堺市…(南区)図書館、(美原区)図書館
・府立近つ飛鳥博物館
2012/01/06のBlog
○シニア文化塾「前期講座」のご案内
・シニア文化塾(「南河内シニア文化塾」)は、2010年1月に任意団体として設立し、今年で3年目を迎えます。
・シニア層を対象に、「歴史・古典・文学・文芸・自然などを楽しく学ぶ講座」を中心に運営しています。
・運営は、講座などの受講料(参加料)で運営しています。
・現在の受講生は、富田林市だけでなく、大阪狭山市、河内長野市、河南町、太子町、千早赤阪村、堺市、羽曳野市、松原市、八尾市、奈良県(樫原市、広陵町)、和歌山市から参加しています。
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*右上の写真は、昨年9月27日、住吉大社・太鼓橋(反橋)での集合写真で、いつもの会場(すばるホール)から出て、住吉大社での現地講義『住吉大社1800年祭』(桧本多加三先生)を行ないました。
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2012年『前期講座(歴史コース)』のご案内
・期 間:3月~7月
・開催日:火曜日am10時~12時
・会 場:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・定 員:55名
・受講費用:9,500円

*但し、3月20日は公開講座で、時間・会場は下記の通りです。
・時 間:午後1時~4時半
・会 場:近つ飛鳥博物館「地階ホール」
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○右の日程表をご参照下さい。
・講義数:全15講義
【古代史】-8講義、【中世史】-2講義、【近世史】-1講義、
【現代史】-1講義、【仏 像】-1講義、【平家物語】-1講義、
【公開講座・古事記】-1回(2講義)
・講師:13名各分野でご活躍の先生方です
・講座に関連した現地ウォーキングも行なっています。


・「受講生募集」は、昨年12月末に定員に達しましたので、申込は締め切りました。

・「聴講生は、若干名募集しています」(申込締切:2月18日(土))
(注)「聴講生」とは…学びたい講義を選択して聴講できます。聴講回数に制限があり、
満席で聴講できない場合は、お断りすることがあります。(聴講料は800円/1講義です。)
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