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シニア文化塾だより
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2010/07/24のBlog
「平城遷都1300年記念特別講座」の課外ウォーキングとして、”南河内を散策する”(第4回)を7月23日(金)に行いました。

*右の写真は、ボランティアガイドの引率で、応神陵古墳を見学しているところです。(巨大な古墳にビックリ!。 ”百聞は一見に如かず”
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”南河内を散策する”(第4回 羽曳野市「古市古墳群」)
・日時:7月23日(金)am9時半~11時半
・集合:近鉄南大阪線「古市(ふるいち)駅」9時30分
・天候:晴れ([猛暑]でした!!。朝の9時には、すでに30℃を越える)
・参加者:23名(女性5名、男性18名)
・ボランティアガイド:(3名) フィールドミュージアムトーク史遊会

・コース:古市駅 → 白鳥(しらとり)神社 → 誉田(こんだ)八幡宮 → 応神陵古墳 → 羽曳野市役所 → 古市駅 (猛暑のため、コースを短縮しました)
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*右の資料は、 「古市古墳群分布図」 (編集・発行: 古市古墳群世界文化遺産登録推進連絡会議)です。
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「古市古墳群」について
羽曳野市から藤井寺市にかけて、巨大な前方後円墳が集中して造られた東西3.5km、南北4kmのエリアを古市古墳群と呼んでいます。
・古市古墳群は墳丘長200mを越える7基の巨大古墳を含む前方後円墳30、方墳52、円墳37、墳形不明8・・・合計127基の古墳で構成されています(しかし、墳丘が現存する古墳は44基に過ぎません)。この古墳群は、4世紀の後半から6世紀中葉の約150年間に形成されました。
応神陵古墳(日本最大の体積をほこる前方後円墳)・・・墳丘長425mで、仁徳陵古墳(475m)についで2番目の大きさ。表面積や体積では仁徳陵を上回り、全国一の巨大古墳です。造営時期は5世紀前半と思われます。
・堺市の百舌鳥古墳群と連携して、「世界文化遺産登録」を目指しています。
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*右の写真は、羽曳野市役所の屋上からみえる古墳の説明を聞いているところです。
(市役所の屋上は、一般には開放されていません。ボランティアガイド団体が窓口となり、許可をえて、見学しました。)
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羽曳野市 ・・・大阪府の東南部に位置し、金剛・生駒山系の山並みを仰ぎ、石川が緩やかに流れる水と緑に恵まれた自然豊かなところです。二上山をはさんで古代の都であった大和(奈良県)と接しているところから、古くから大陸と都を結ぶルートとして、重要な地域となっていました。

*ボランティアガイド(池田さん、箸方さん、梶川さん 3名)の引率により、猛暑のなか、無事に散策することが出来ました。ガイドの皆様、本当にありがとうございました。
2010/07/20のBlog
前期講座(2月~7月:全10回講義)の第10回講義の報告です。
・日時:7月20日(火)am10時~12時10分
・場所:すばるホール・3階会議室
・演題: 「奈良の都と万葉歌」
・講師: 辻 孝子先生(古典文学研究家)
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*万葉集(概要)*
・万葉の時代・・・舒明天皇(在位629年~641年)~大伴家持の歌(759年)の約130年間
・日本で最も古い歌集(奈良時代の末期ころ、編集された)
・全20巻、4500余首、500名近くの歌人
・天皇、貴族から中・下級官人、庶民、防人など様々な身分の人間が詠んだ歌を集める
・主な歌人・・・額田王、柿本人麻呂、山上憶良、大伴旅人、大伴家持など
・歌の種類・・・「5・7・5・7・7の短歌」がほとんど。「5・7 5・7 が繰り返す長歌」や、その長歌のあとに詠まれる「反歌」など
・【雑歌(ぞうか)・相聞歌(そうもんか)・挽歌(ばんか)】、〈東(あずま)歌、防人(さきもり)歌〉
・枕詞、序詞、対句
・万葉仮名(原文は漢字で書かれている)
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講義の内容
1.時代背景「都の変遷と天皇」
・万葉集の時代背景
・女帝について
・遷都の変遷
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右の資料は、辻先生が作成されたものです。右上は、万葉集の時代背景が1ページによくまとめられています。右下の資料は、手書きで作成されています。
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2.今日は12首をとりあげて、全員で声を出して歌を詠み、辻先生の歌の解説
①.〈あおによし奈良〉・・・4首
*328「あおによし奈良の都は 咲く花のにほふが如く 今盛りなり」(大宰府少弐小野老)
②.〈天平8年(736年)の遣新羅使一行の歌〉・・・2首
*3602「あおによし奈良の都に たなびける 天の白雲 見れど飽かぬかも」(大判官・壬生使主宇太麿)
③.〈味真野恋歌(740年頃)〉・・・2首
*3728「あおによし奈良の大路は 行きよけど この山道は行きあしかりけり」(中臣宅守)
④.〈都が久邇に移って(740年)の歌〉・・・2首
*1046「いわ綱のまたをちかへり あおによし奈良の都をまた見なむかも」(作者不審)
⑤.〈遷都に際して〉・・・2首
*18「三輪山を しかも隠すか 雲だにも こころあらなむ 隠さふべきや」(額田王)
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辻先生の万葉集の講義は、歌の解説がわかりやすく、時代背景もキチンと捉えられていますので、「万葉集」が楽しく学べます。
『辻 孝子先生 プロフィール』:阿部野市民学習センターにて「万葉空間」主宰。藤井寺市教育委員会生涯学習課「古典文学」講師。吹田・京都・大津・草津などで古典文学講師。”薄れつつある自国の古典文学の世界を、一人でも多くの人に興味と関心をもって親しんでいただけるよう努力しています。”(辻孝子)
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「前期講座(2月~7月:全10回講義)」は、今日(7月20日)で終了しました。 講師の先生及び受講生の皆様に、厚く御礼申し上げます。
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「後期講座(9月~1月:全14回講義)」は、9月7日(火)からスタートします。(尚、後期講座の受講生募集は、すでに定員になりましたので、応募は締め切らせていただきました。)
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・問合せ:シニア文化塾「事務局」 常本(つねもと) 携帯090-3990-3907
2010/07/14のBlog
「平城遷都1300年記念特別講座」(4月~9月:全7回講義)の第五回講義の報告です。
・日時:7月9日(金)pm1時30分~3時45分
・場所:すばるホール(会場:小ホール)(富田林市)
・演題: 「遣唐使船とその航海」
・講師: 上田 雄(うえだ たけし)先生 (日本海事史学会理事)
・受講生(出席者):67名
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右の本は、講師 上田 雄先生の著書です。
*書名:「遣唐使全航海」(出版社:草思社、2006年12月発行)
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[関係年表]
・607年・・・聖徳太子、小野妹子を隋に派遣
630年・・・第一次遣唐使出発(大使名:犬上御田鍬)
・663年・・・白村江の戦い
・710年・・・平城京に遷都
・717年・・・第八次遣唐使出発(大使名:多治比県守。吉備真備渡唐)
・754年・・・僧鑑真来日
・794年・・・平安京に遷都
・804年・・・第十四次遣唐使出発(大使名:藤原葛野麻呂。空海・最澄渡唐)
894年・・・菅原道真の建議により中止
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*遣唐使の目的と成果*
・中国への朝貢と先進的な唐文化の摂取。(先進技術の習得や仏教の経典などの収集)
・唐の諸制度や文化に通じた留学生・留学僧は、建設間もない日本の律令国家を整備する上で不可欠であり、律令国家の繁栄を支えていた。
・遣唐使は、危険な航海であったが、帰国後は高官につくことができた。
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講義の内容
1.みんな知っている遣隋使・遣唐使・・・小野妹子は小学生でも知っている
2.みんな知らない遣隋使・遣唐使の実際・・・遣唐大使の名前を一人でも知っていますか?
・第一次遣唐使の大使:犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)
・知られている人・・・阿倍仲麻呂は(留学生)、空海・最澄は(留学僧)
3.遣唐使の回数は?
・研究者によってまちまち→ 12回説、13回説、15回説(上田雄氏)、18回説、20回説(東野治之氏)
4.遣隋使・遣唐使の目的は?
5.遣唐使の船の本当の姿形、大きさ、性能など?
6.遣唐使の航路
7.遣唐使の航海と航海期
・司馬遼太郎「空海の風景」の誤り
8.遣唐使の遭難・漂流について
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遣唐使の船とその航海は、もっと高く再評価されるべきである
●定説 「遣唐使船は毎航海ごとに必ず遭難した」
・確かに遭難率は高かったが・・・全ての船が遭難したわけではない。
・200年余の間に実際に渡航した遣唐使船は35隻。そのうち25隻は無事に帰還。(総人員の約80%は帰ってきている)
・遣唐使の船数・・・一回あたり船数=[1隻~4隻](1隻あたり約120名~160名乗船。当時であれば、かなり大きな船である)
●定説 「遣唐使は季節風を知らなかった」
・司馬遼太郎「空海の風景」の筆の誤り→司馬遼太郎の代表作の一つ、「空海の風景」 で、「・・・五島から東シナ海航路をとる遣唐使船は、六、七月という真夏をえらぶ。わざわざ逆風の季節をえらぶのである。信じがたいほどのことだが、この当時の日本の遠洋航海術は幼稚という以上に、無知であった。・・・」
・司馬氏の文を読めば、「.夏には風が唐から日本に吹いている。だから、六、七月の真夏が日本から唐に渡るには逆風となり、秋なれば日本から唐土に吹いて、この航路にとって順風となる」という説明 →この説明は、完全にあべこべである
・遣唐使は、季節風を知っており、網代帆による横風帆走航海で、北極星の高度を同じに保つ同緯度航法を知っていた。→ それなりに高度の航海技術をもっていた。
・なぜ、”遣唐使船の出発を夏から初秋を選んだのか”・・・遣唐使は、中国への朝貢が主目的。中国の正月元旦の祝事に参加して朝貢するスケジュールのため、自然や気象条件を無視して往復することになったのが、遭難を生んだ理由である。
2010/07/10のBlog
「平城遷都1300年記念特別講座」の課外ウォーキングとして、"南河内を散策する”(第3回)を、7月9日(金)に行いました。

*右の写真は、小雨の中、ボランティアガイド木下さんの引率で「狭山池」を見学しているところです。
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”南河内を散策する”(第3回 大阪狭山市「狭山池」)
・日時:7月9日(金)am9時半~12時
・集合:南海高野線「大阪狭山市駅」9時30分
・天候:雨時々曇り
・参加者:19名(女性4名、男性15名)
・ボランティアガイド:木下茂男さん(「古代史の会」主宰)

・コース:東新宿(樋役人の居住地跡)→末永雅雄邸→外堤→大阪府立狭山池博物館
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* 右の写真は、ネットに掲載されている晴れた日の「狭山池(さやまいけ)」です。約1400年の歴史を刻む日本最古のダム式 溜池(ためいけ)です。
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『狭山池』について
■いつごろ造られたのか?・・・推古24年(616年?) (木製樋管の年輪年代法による造営年次)
■ 狭山池については、「古事記」、「日本書記」にも記述。
■各時代で幾度となく改修
行基(ぎょうぎ)の改修(731年)・・・奈良時代の改修には行基が登場し、川や溜池を改修して、農業生産に寄与。
重源(ちょうげん)の改修(1202年)・・・鎌倉時代には、重源が古墳の石棺を利用して樋をつくる。 (注) 「樋(ひ)」 :水を導き送る長い管のこと(広辞苑より)
慶長の改修(片桐且元の改修)(1608年)・・・江戸初期に片桐且元が、堤、東樋、中樋、西樋を改修。
■大正・昭和初年の改修(1926~1931年)
平成の改修(1988~2002年)

大阪府立狭山池博物館開館(2001年)・・・設計・建築家 安藤忠雄氏

現在の状況:狭山池の周囲は公園として整備されている。池の周りは、一周約3kmの周遊路がつくられ、散歩やウォーキングコースとしてよく利用されている。
□狭山池の大きさ(現在):池面積 約36万㎡、最大貯水量 約280万立米
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狭山池博物館の巨大な展示物
*右の写真は、博物館の展示の目玉である狭山池の「堤」の断面です。
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・堤の内部には、築造以来、繰り返されてきた改修の跡が地層のように積み重なっています。そこから、各時代にどのような技術を用いて堤を築いたかが解かってきます。
・展示の「堤」は、高さが15.4m、奥行きは62mで、発案から実際の作成まで約10年間。土の塊である「堤」を切り取って展示する取り組みはユニークです。

*尚、当日、狭山池博物館・植田学芸員による「狭山池」のガイダンスと「ビデオ」による博物館の解説もあり、ありがとうございました。
2010/07/06のBlog
前期講座(2月~7月:全10回講義)の第9回の講義報告です。
・日時:7月6日(火)am10時~12時
・場所:すばるホール・会議室(3階)
・演題: 「古墳時代の始まり」
・講師: 笠井 敏光先生(文化プロデューサー)
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講義の内容
①紀元前1・紀元後1世紀(弥生Ⅲ-Ⅳ期)ころの武器と戦いのひろがり・・・地域ごとのまとまり
②紀元後1世紀(弥生後期)ころの祭器・祭祀の分布域・・・交錯
③2世紀ころの祭器・祭祀の分布域・・・対立・境界
「前方後円墳形」「前方後方形」「四隅突出型」 のそれぞれの主分布域
⑤3世紀前半・後半の首長墓の形と分布
⑥青銅器(モノ・自然)→墳丘墓(人)→古墳(首長霊・宗教的権威)
大型前方後円墳の構成要素と系譜
弥生の伝統 (地域の個性を統合)・・・埴輪(吉備)、石槨(東瀬戸内)、木棺(丹後)、副葬品多数(北九州)
中国の思想 →北枕、朱・べんがら、密閉、段築、鏡
創作 →古墳の形が多様
場所→畿内
⑧東アジアの古墳との対比
・(日本)古墳の特長・・・「多様な形」、「大きな墳丘」、「飾る外装」

備忘録
*難しい考古学を笠井先生のわかりやすい説明と資料。
*古墳時代は350年間→長い期間を支える組織、思想 (江戸時代は260年間)。
*古墳=墓+政治・宗教。墳丘のある墓。見せる王権。
*古墳を飾る外装・・・埴輪、葺石
*韓国にもある前方後円墳・・・倭人の百済官僚の墓と考えられる(石室が九州型など)
*祭り・・・「夏祭り」(疫病の祓・都市型祭祀)、「秋祭り」(実りに感謝・農業祭祀)
*現在の日本政治・混迷の要因→思想(イデオロギー)の脆弱性




2010/07/01のBlog
「平城遷都1300年記念特別講座」(4月~9月:全7回講義)の第四回の報告です。
・日時:6月25日(金)pm1時30分~3時30分
・場所:すばるホール(会場:小ホール)
・演題: 「奈良時代を考古学する」
・講師: 笠井 敏光先生(文化プロデューサー)
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講義の内容
《4つのキーワード》
「宮」
・飛鳥京→藤原宮→平城京→難波宮→長岡宮→平安宮
・「内裏」・「大極殿」・「朝堂院」の配置
*(宮内の殿舎の配置を考察する)
「寺」
・飛鳥寺→山田寺→川原寺→薬師寺→国分寺
・「伽藍配置」(塔と金堂の数・・・一塔3金堂、一塔2金堂、一塔1金堂など)
・「伽藍配置」(塔と金堂の並び・・・直列、並列、多様)
・「瓦」〈文様・・・単弁、複弁、多様)
*(瓦の文様、塔・金堂の配置を考察する)
「器」
・「土師器」(杯AⅠ群、杯BⅠ群、高杯Ⅱ群)
・奈良時代初期:律令的土器様式(器種文化、規格性、互換性など)→奈良時代後半:器種減少、簡略(粗悪))
*(平城宮土器の編年を考察する)
「祭」
・人形代、馬形代
*(律令的祭祀を考察する)

奈良時代を、「宮」、「寺」、「器」、「祭」の4つのキーワードから考察。
・(倭)→日本〈律令国家)、大王→天皇〈中央集権)・・・7世紀後半
・701年:大宝律令
2010/06/27のBlog
「平城遷都1300年記念特別講座」の課外ウォーキングとして、"南河内を散策する”(第2回)を、6月25日(金)に行いました。

*右の写真は、三日市町宿です。高野街道沿いの宿場町として江戸時代以降に賑わいました。
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 ”南河内を散策する”(第2回 河内長野市「高野街道」)
・日時:6月25日(金)am10時~12時
・集合:南海高野線「三日市町駅」10時
・天候:曇り(最適なウォーキング日和でした。午前中は曇り。午後からは、雨でした)

コース:三日市町駅→三日市宿→烏帽子形神社→天野酒→河内長野駅(約4km)

・参加者:26名(女性6名、男性20名)
・ボランティアガイド:6名(竹内さん、福光さん、河合さん、里沖さん、永井さん、佐々木(義)さん、佐々木(悦)さん)・・・かわちながの観光ボランティアガイド倶楽部
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*右の写真は、ガイドの説明を聞きながら、高野街道の"地蔵之辻”辺りを散策しているところです。
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 高野街道とは
・高野街道とは、かつて、京・大阪から高野山への参詣道として利用された街道で、起点を異とする”4本の道”がありました。
「東高野街道」 (京都府八幡市を起点)、 「中高野街道」 (大阪市平野区を起点)、 「西高野街道」 (堺市を起点)、 「下高野街道」 (大阪市四天王寺を起点)の4つのルートがあり、いずれも現在の河内長野市で一本に合流し、紀見峠を越えて高野山に向かいました。
・平安時代の天皇、公家の高野参詣。中世からは、武士、庶民の高野参詣で賑わいました。

*5名のボランティアガイドにより、1組あたり4名~6名で、約4kmを散策しました。ガイドの皆様、本当にありがとうございました。
2010/06/23のBlog
前期講座(2月~7月:全10回講義)の第8回の講義報告です。
・日時:6月15日(火)am10時~12時
・場所:すばるホール・会議室
・演題: 「卑弥呼と邪馬台国」
・講師:笠井 敏光先生(文化プロデューサー・大東市立文化センター館長)
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講義の内容
1.「魏志倭人伝」を読む
・受講生約20名で、山尾幸久氏「新版・魏志倭人伝」(1986年より)を、全て読み下しました。
・魏志倭人伝を詳細に読むことによって、問題を解く鍵が隠されています。
*「魏志倭人伝」のすべてを、講師の解説とともに、読み下しました。(受講生には初めての経験)・・・古代史の面白さが広がっていきます。
2.邪馬台国への道程
・道程の検討
3.女王の都する邪馬台国
・倭国の女王・卑弥呼
4.邪馬台国時代
・180年頃・・・倭国大乱
・239年・・・卑弥呼、魏に使いを送る
・248年・・・この頃、卑弥呼死す(台与(とよ)、魏に使いを送る)
5.卑弥呼の記載
6.三輪山と「ヤマトトトヒモソヒメ」
7.卑弥呼の墓
8.ビデオ放映「卑弥呼」(約15分)

笠井講師の専門は、「考古学」、「言語文化学」、「文化政策学」など多岐にわたっています。また、フリーの「文化プロデューサー」として、”文化遺産を活かしたまちづくり”を実践されています。・・・(大阪府大東市、滋賀県東近江市、長野県妻籠宿など)。